関所こぼれ話 / 箱根の関所にまつわる昔の話
ケンペルが見た関所
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 ケンペルは、オランダ商館付の医者として長崎に来たドイツ人です。元禄3年(1670)に長崎に来て、商館長が将軍に謁見するための「江戸参府」に同行し、江戸までの旅をしました。
 ケンペルの日本での経験は後に、「日本誌」という本にまとめられ、ヨーロッパの国々で翻訳され、日本を詳しく紹介する本として多くの人に読まれました。後年に日本に来たシーボルトも、「日本誌」を読んでいたことが知られています。 
 旅の途中、ケンペルは箱根関所を次のように紹介しています。

 …(3月11日、三島から箱根に向かい)この村(箱根宿)のはずれに将軍の番所があり、御関所と呼ばれ、新居の関所(静岡県にある)と同様に、武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を通さないのである。この場所を閉ざせば、西方の地方の人々は通過することができず、ここは江戸にとっていわば戦略上の要衝であるから、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。非常に狭い道の傍にある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、右手は険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。 …(中略)それから、われわれはまず村はずれにある、いま述べた将軍の関所にさしかかったが、日本人はみな駕籠や馬から下り、かぶり物をぬいで、人も荷も点検を受けたが、それはうわべだけ行われたに過ぎなかった。(以下略)

 参考資料「東洋文庫303 江戸参府旅行日記」ケンペル 著、斉藤信訳(平凡社)